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【ワシントンDCの歴史概略】 ワシントンDC地域の記録に残る歴史は、17世紀初頭ヨーロッパ人がこの地に入ったときに始まる。1608年イギリス人の探検家、キャプテン・ジョン・スミスが彼の乗組員とこの地を探検したとき、ここにはアルゴンキン族とよばれるインディアンが大勢住んでおり、農耕と漁業・狩猟の半定住生活を営み、かぼちゃ、とうもろこし、タバコ豆などを栽培していた。 17世紀初頭、イギリスがこの地に植民地建設を着手し、イギリス国王が寵臣に植民地特許状を与え、この貴族が封建的な特権を持って支配した。1700年ごろにはすべての土地が白人の私有地となっており、その大部分が農地となっていた。そしてインディアンはアパラチアン山脈の中に姿を消してしまった。 植民地建設の初期は植民者が飢餓や悪疫に倒れ、またインディアンとの戦いなどもあり、辛酸を嘗めたものであった。その後タバコの品種改良の成功、土地制度の改革、黒人奴隷制の確立などによって、植民地は発展し、ポトマック川はタバコの輸出港として活躍した。 このような経済的発展の結果、植民地は叙々に成熟していき本国の援助なしに自立できるようになっていった。植民地民衆は本国の植民地の王領化による反動体制のの強化、貿易統制、土地規制、行政、司法機関の再編強化当の諸法に対し、反抗運動を展開し、1774年、12植民地の代表がフィラデルフィアで会合を開いた。この大陸会議が導火線となり、1775年、独立戦争の幕がきっておとさせ、1776年の独立宣言へと導かれた。1775年から8年間にわたる独立戦争が終結し、一国家形成へ第一歩を踏み出すことになる。1787年、13州による連合規約の改正のため、12州の代表がフィラデルフィアで会議を開いた。ところが、この会議が新しい憲法を制定する会議に変身し、新憲法が制定されたのである。 1789年、ジョージ・ワシントンが第一代大統領に選ばれ、恒久的な首都建設に着手し、ワシントンがポトマック川を交通機関に利用できるこの地を候補地として選び、多くの候補地の中からこの地が政治的な駆け引きで決定された。ジョージ・ワシントンが土地の測量および、都市計画の技師を任命し、彼が国会議事堂の礎石を自ら据えた。 1800年、合衆国議会はこの地に移ってきた。ジョージ・ワシントンはその前年に亡くなった。そしてこの地は第一代大統領とアメリカ発見者、コロンバスの名を取って、コロンビア特別地区ワシントン市と名づけられた。第二代大統領からこの地に移り、現在に至る。 |
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【White House(ホワイトハウス)】 文字通り白亜の建物で、アメリカ合衆国大統領官邸。が、これは俗称で、正式には「プレジデンツ・ハウス」という。初代のジョージ・ワシントンを除く、2代目のジョン・アダムスから43代目の現大統領ジョージ・W・ブッシュまで、歴代大統領が190年間にわたって住み、それこそ世界史を塗り替えるような幾多の重要な歴史的決断を下してきた。一般公募で選ばれたジェームス・ホーバンの設計案をもとに、ホワイトハウスが完成したのは、1800年。バージニア産の白砂岩を贅沢に使用した美しい白亜の建物だったが、米英戦争終盤の1814年8月、首都は英国軍の攻撃を受け、ホワイトハウスも焼失。焼け跡には真っ黒焦げの壁の一部とレンガだけが残された。これを白く塗り、再建された建物の壁も白一色で統一された。その後、ホワイトハウスは実に40回以上に及ぶ増改築工事が行われ、今日の官邸には、合計132の部屋がある。 |
【Washington Monument(ワシントン記念塔)】 天に向かって力強くそびえる美しい石造りの尖塔で、DCのランドマークのひとつ。合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンの偉業をたたえて建てられたもので、石造建築物としては世界一高い約169.3メートルの高さを誇り、もちろんDCで一番高い建築物。着工は1848年だが、途中、南北戦争などで工事は中断され完成までには37年の年月を要した。南北戦争終結後に工事が再開されたが、戦前に完成していた部分と戦後の部分とでは石の色が異なっている。展望台まで897段の鉄の階段があり、レンジャーのガイド付で階段を下るツアーもあったが、現在は中止されている。展望台には、東西南北それぞれ二つの窓があり、モールは言うまでもなく、ポトマック河の流れや、ナショナル空港、アーリントン国立墓地など市外を一望のもとに望める。数々のモニュメントが一斉にライトアップされる夏の夜は、ひときわすばらしい眺めだ。 |
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【Lincoln Memorial(リンカーン記念館)】 アテネのパルテノンをモチーフにした36本の柱に囲まれた大理石の建物の中央に、まるでキャピトルを凝視するように腰掛けた巨大なリンカーンの座像がある。像は高さ約5.7メートル。28個の大理石からなる。柱の数36は暗殺された当時の、連邦の州の数を示している。南の壁には有名なゲティスバーグの演説。北の壁には再選されたときの演説から『人民による…』の有名な一説が刻み込まれている。この館の前には反射池があり、青い水に白い、ワシントン記念塔を映し、池両側の樹木と見事な調和を見せている。 |
【Jefferson Memorial(ジェファーソン記念館)】 ポトマック河の畔、水面に白く美しい姿を映すこの建物は、1934年、第3代大統領トーマス・ジェファーソンの誕生200年を祝って、時の大統領ルーズベルトが建てたもの。5.7メートルの高さのブロンズ像が立ちジェファーソンの独立宣言が壁に刻まれている。春にはその前面に作られた池の回りに、日本から贈られた桜が咲き優雅な趣を添えている。 |
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【United States Capitol(国会議事堂−キャピトル)】 華麗なドームをいただく白亜の建物が、このキャピトル(国会議事堂)。ホワイトハウスやスミソニアンと並ぶDC観光のハイライトだ。ピエール・ランファンの手になる首都建築計画は、このキャピトルを起点に造られており、DCの0番地。キャピトル自体の所在地に番地はない。キャピトルを中心に、北東部、北西部、南東部、南西部の4地区に分割されており、すべてのストリートやアベニューの番地はここから始まっている。米国の議会は、モールから向かって左側、つまり北側の上院(日本の参議院にあたる)、右側の下院(同、衆議院)の2院で構成されている。上院議員は各州からそれぞれ2名、下院議員は各州の人口に応じた人数が選出され、現在の上下議員の数は535名。彼らの政務を支える職員の数は7500人以上。 |
【Arlington National Cemetery(アーリントン国立墓地)】 リンカーン記念館からポトマック河にかかるメモリアル橋を渡ると、緑の丘陵に純白の小さな墓石が整然と並ぶ光景は続く。ここには、第二次世界大戦や朝鮮戦争で亡くなった兵士が埋葬されている無名戦死の墓や、硫黄島記念碑、35代大統領ジョン・F・ケネディの墓などがあり献花が絶えない。他に、南北戦争の南軍の名将ロバート・E・リー将軍のギリシャ復古調建築の邸宅、アーリントンハウスがある。またそこから眼下にワシントンが一望でき、そ眺めは絶景である。 |
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【Smithsonian Museum(スミソニアン博物館)】 14の博物館、美術館からなるスミソニアンは、世界に例を見ない巨大な人類のショーケースだ。一般にスミソニアンといえば博物館群を指すが、正式にはスミソニアン協会(Smithsonian Institute)、つまり博物館複合体をもつ研究団体をしめす。その中心がモールにあるスミソニアン協会ビルであり、その周辺に9つのミュージアムを配しモール以外に4つのミュージアム、動物園、そしてニューヨークにも美術館1つをもつ。協会が所蔵する標本、美術品の種類は1億3400万点にも及ぶが、実際に展示されているのは、僅かその1%にすぎない。そこに並ぶ膨大な展示物を見終えるのに、1週間はゆうにかかるだろう。職員約6000人、そして同じ数の約6000人がボランティアとして働いている。まさに世界最大にして最強の内容を誇る博物館群、それがスミソニアンだ。ここには人類の歴史がぎっしりつまっている。 スミソニアンの起こりは協会の名前となっている英国の科学者ジェームス・スミソニアン(1765年生まれ)。科学者として名誉と財産を残したスミソニアンだったが、一生独身で過ごした。甥のヘンリーにも子供ができなかった時は、全財産45万ドル相当をスミソニアン協会の名の下に米国に寄付し「人類の知識の普及と向上に役立てる」との遺言を残し、実際その通りとなった。スミソニアンは一度も米国を訪れることなく、1835年に亡くなっている。 国立美術館(National Gallery of Art) |
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ワシントンDCの鳥(official bird) - Wood Thrush(ツグミ) |
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